「生れによって〈バラモン〉となるのではない。生れによって〈バラモンならざる者〉となるのでもない。行為によって〈バラモン〉なのである。行為によって〈バラモンならざる者〉なのである」
(『スッタニパータ』650、原始仏典の日本語訳は岩波文庫版による)
「このように昔からのこのつまらぬ習俗は、識者の非難するものである。人はこのようなことを見るごとに、祭祀実行者を非難する」
(同313)
ここでは、血筋による身分の決定、供儀による生き物の殺生が批判されている。原始仏典に見られるこうした批判は、仏教が反バラモン教勢力のなかから誕生したことを物語っている。
このような勢力は沙門宗教と呼ばれるが、なかでもブッダと同時代のマハーヴィーラが開いたとされるジャイナ教は仏教以上に生き物の不殺生を徹底したほか、多くの点で共通の要素を持っている。例えば、原始仏典には、
「蜜蜂は(花の)色香を害わずに、汁をとって、花から飛び去る。聖者が、村に行くときは、そのようにせよ」
(『ダンマパダ』4−49)
というフレーズが見られる。
その一方で、ジャイナ教聖典にも、
「蜜蜂は樹の花から蜜を吸い、花を害わずに自身を満足させる。世間において、所有を離れた沙門たる修行者は、そのような花における蜜蜂のように、布施と食物を求めるべきである」
(『ダサヴェーヤーリヤ』1−2、3)
というフレーズが見られる。両宗教の間では、バラモン教とは異なった乞食生活のみならず、それを表現する比喩までも共通していることがわかる。こうした例は枚挙に暇がない。仏教のオリジナリティを再考するには、以上のような背景を踏まえることも必要と考えられる。
インド中央部、グワリオルのジャイナ窟。仏教と同時代に生まれたジャイナ教は、いまも信者を獲得している。
現代人の心を打つフレーズもちろん、原始仏典には、時代背景を抜きにして現代人の心を打つようなフレーズも溢れている。
「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」
(『ダンマパダ』1−5)
これは、サンフランシスコ講和条約調印の際にスリランカ代表が引用し、日本に対する賠償請求権を放棄したことで有名になったものである。文字通り時代を越えた「永遠の真理」の名に相応しいものと言えよう。
原始仏典の世界は広大であり、「原始仏典」という言葉からイメージされるのとは異なって理性的かつ論理的な教えも多く、その内容も非常にヴァラエティに富んでいる。これらの多くは日本語訳が出版されているので、興味のある人には、ぜひとも原典を読むことをお勧めする。
(文・堀田和義◎東京大学大学院博士課程)